相鉄天王町駅前から細い道(古東海道)を5分ほど行った場所にある広大な神社。その昔、すぐ隣にある保健科学研究所へバイトへ行っていたのですが、当時はそばに神社があることなど全く気が付きませんでした。
広大な敷地にいろいろなオプションとものすごく沢山の神様が合祀されてます。
ご祭神
天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )
ご由緒
神明社御由緒 (旧伊勢神宮榛谷御厨総鎮守)
今から1千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・天照大御神が、武蔵御厨の庄の内、榛谷の峰に影向し、それから川井・二俣川・下保土ヶ谷のみ屋ばやしへと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、神明の下宮を立て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守といて広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み隆盛を極めたという。
その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造影が行われ、御朱印地が安堵された。また元和5年(1619)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治2年の修営時には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治6年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
平成10年0月、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、380年ぶりに御本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物12棟が一新された。平成12年4月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。
御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
例祭日は、8月第4日曜日
*御厨(みくりや) 伊勢神宮直轄の神領地
*影向(ようごう) 神様が現れること
*鳳輦(ほうれん) 天皇陛下の御車
社務所
木が生い茂り、奥がよく見えない長大な参道。右奥にはYBP(横浜ビジネスパーク)の巨大なビル。
中庭風の場所。右側は社務所。
社殿全景。
扉に格子がなく、素通しのガラスがハマっている。
社殿前に参詣者の記帳。
社殿左隣りには洒落た手水桶。
手水桶の隣には人形流し。清流と書いてあるけど流す所は流れのない池です。
その隣に合祀その一、水神社。
社殿左側に合祀その二、稲荷社。参拝順路も指定されています。
順路に沿って合祀その三、月読社と風宮社。順路は社殿地下を通って社殿右側へ。
社殿右側に現れる合祀その四、切部之王子社、日之王子社、鹿島社。
更に順路を進むと別の手水桶。
裏手に更に別の拝殿が。
更に順路を進むと合祀その五とその六、雷神社、山神社、山王社、火結社、白鳥社、見目社、厳島社、天満宮。
表側に戻ってくると、右側に別の社殿と絵馬。貝殻に願掛けもできる模様。
神楽殿。お正月などはさぞかし賑やかになるのでしょう。
参道入口。なんてことの無い道沿い。神社奥に駐車場へ入る道があります。
反対方向。信号の袂に古東海道の碑。
道祖神的なもの。その昔はこの道を多くの旅人が徒歩で通って行ったのでしょう。今や裏側は保健科学研究所の駐輪場・駐車場になってます。
神社の駐車場もあります。手前側が神社、奥側右に更に駐車場、その右側が神社右手の道です。20台位の駐車スペースがあります。