腕時計

突然G-SHOCKが欲しくなったので買いに行ったついでに、オメガコンステレーションの壊れていたベルトを修理に出した。WP_000316

受け取ったら、フレームに刻まれたローマ数字のⅣからⅥの半分までが剥がれてた。信じられん。

 

王子神社 (横浜市戸塚区柏尾町)

ここも8/27に行ってきました。国道1号に王子神社前という交差点があるのですが、その交差点からだと、この神社へは徒歩でしか行けません。ちなみに、他のルートでも車では行けません。私はシグナスで行きました。


大きな地図で見る

ご祭神

護良親王   ( もりながしんのう )

ご由緒

護良親王が弑せられ給うた時、侍者、その御首を奉じて当地四抗の勤皇の郷土斉藤氏を頼り、ひそかに現本殿の位置に埋葬したと伝える。
親王の御首を洗い清めた井戸を「首洗(くびあらい)井戸」と称し神社付近にある。
井戸の傍の大杉は伐採しても不思議に新芽を生じたが、昭和35年頃焼損した。
御首を一時隠し奉った所を「御墓」といい老松があったが、これも明治末年落雷に焼損した。
四抗とは御首を洗う為の四本杭の簀の子の意、或いは鎌倉街道上で鎌倉から山を四つ越えた(よつごえ)の転訛という。
社殿は当初西北に向いていたが東海道の往来に支障ありとて現在の東南向きに変えたという。WP_000273WP_000272

フラットな参道。WP_000270 WP_000255 WP_000254 WP_000257

忠魂碑。WP_000259

稲生稲荷社を合祀。WP_000262

子の神社も合祀。WP_000264

豊受大神宮も合祀。WP_000266

お鏡の松WP_000268

弁天社を合祀。

舞岡八幡宮 (横浜市戸塚区舞岡町)

ここも8/26に行ってきました。


大きな地図で見る

ご祭神

誉田別命   ( ほむだわけのみこと )
息長足姫命   ( おきながたらしひめのみこと )
比・大神   ( ひめおおかみ )
孝安天皇   ( こうあんてんのう )
仁徳天皇   ( にんとくてんのう )
國常立尊   ( くにのとこたちのみこと )
ご由緒
往古当地を「腰村」と称したが、乾元元年(一三〇二)三月、白旗が空に舞うという奇瑞が起こったのに因み、腰村を「舞岡村」と改称し、且つ石清水八幡宮を勧請したという。その旗は中郡落旗村(現、秦野市鶴巻)に落ちたと伝える。
嘉吉元年・寛文二年・同七年・文政年間・天保年間・明治四十五年にそれぞれ改築を加えているが、文化十三年三月には領主・松平容衆が当神社で三浦・鎌倉両郡合同の祈年祭を行い、その祝詞が現存する。
明治四十一年村内の無格社(第六天社・若宮八幡社・御嶽社)を合併して舞岡神社と改称したが、昭和四十一年以降、旧来の社号「舞岡八幡宮」に復した。
神職は往古より世襲で、鶴ケ岡奉仕の縁により、所謂「鎌倉神楽」を今に伝え、例祭に奉奏する。WP_000232WP_000253

鳥居の脇に地蔵尊。WP_000233

かなりきつい参道。WP_000242 WP_000234 WP_000235 WP_000238

英霊殿。WP_000239

さらに五社合祀。WP_000236

さらに一社合祀。WP_000240 WP_000246 WP_000247 WP_000251

参道。横浜市内とは思えない田園風景。

永谷天満宮 (横浜市港南区上永谷5丁目)

8/26に行ってきました。総面積9900m2と、かなり広大な神社です。


大きな地図で見る

ご祭神

菅原道眞朝臣命   ( すがわらのみちまさあそんのみこと )

ご由緒

「新編相模国風土記稿」鎌倉郡山之内永谷上村の項に「天神社 村の鎮守なり、神躰は長一寸八分、縁起に依るに延喜2年菅公筑紫に在て寶鏡に向ひ、躬づから模刻して令子敦茂に與へられし眞像なりとぞ、(後略)」とあります。

天満天神として信仰されている菅原道真が、延喜2年(902)筑紫(現福岡県)大宰府において鏡に映した姿を彫刻した自身像三躰のうちの一躰を子供の敦茂に授けました。敦茂はこの像を奉体し関東に下向永谷郷に居住しました。その後菅原文時・藤原道長・上杉金吾を経て、明応2年(1493)相模国八郷を領し永谷郷に居城があった上杉刑部太夫藤原乗国に伝わり、夢のお告げにより社殿を造営し祭祀したと伝えられ、その後天文12年(1543)宅間伊織之介が修造、天正10年(1582)宅間規富が新たに社殿を造営したと伝えられています。

江戸時代になり、学問を奨励したので学問の神様として江戸近郊にまで知られ、境内には、入試合格祈願の絵馬などが数多く見られます。

裏山にある筆塚は、敦茂の遺髪と筆を埋めたと伝えられ菅秀塚と呼ばれています。

なお、尊像三体のうち一体は福岡県太宰府市の安楽寺に、一体は大阪府藤井寺市の道明寺に安置されています。

社団法人 横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課
平成7年3月

WP_000229

WP_000222長大な参道の途中に牛がいます。WP_000221 WP_000219

社殿がよく見えない。WP_000199 WP_000209

社殿の脇から裏山へ上れます。頂上には浅間神社があります。WP_000210

地下鉄上永谷駅がすぐ下に見えます。WP_000205 WP_000206 WP_000213

社殿の並びに不動尊が三体。WP_000218 さらに四社が合祀されてます。WP_000215

向かって左から沢滝社、白山社、白糸社、稲荷社。WP_000226

力石(りきいしではない)。持ち上げられると夢が叶うそうです。

プログラミング

先週金曜にAppleの法人営業とちょっと話したのを受けて、何気にiOS向けのアプリでも作ろうかと思い始めたので、帰りがけに横浜西口の有隣堂で軽く参考書を探してみた。で、買ってきた本がこれ。WP_000279

当初予定とは全然違う方向に行ってしまった。しかしOSを作るのは非常に面白そう。全然使ってないVaio type uにでも入れてみよう。

五霊社(横浜市泉区新橋町)

さらに今日行った場所。


大きな地図で見る

ご祭神
日本武尊 ( やまとたけるのみこと )

ご由緒
永享3年(1431)の頃、凶作が続き盗賊の害も続発したので、村人が対策を協議中、一老人が「吾人鼓腹して楽しみとするも唯我が力のみにして衣食を得べからず。天地神明の加護なくんば之を得ず。足りて驕れば賊を招くなり。宜しく日本武尊を奉斎して報賽祈請し且つ霊威によりて鬼賊を封止すべきなり」と述べたので、一同飜然と悟り、協力して一社を建て日夜熟祷したのを当社の創祀とする。その後再び豊作となり、賊害も消滅したという。社殿は享保年間及び文久元年に改築したが、昭和27年不慮の火災により炎上し、改築を加えて現在に至っている。

WP_000194

手前の二本の柱はただの電柱。WP_000186 WP_000185
ここは縦書き。WP_000187
相鉄いずみの線のすぐ脇。WP_000193
お稲荷さん合祀。

日吉神社(横浜市旭区さちが丘)

ここは今日行った場所。


大きな地図で見る
ご祭神

大己貴命   ( おおなむちのみこと )

ご由緒

創立年代は不詳であるが、この地は元、都築郡幡屋郷に属し、古くは榛谷氏の御厨が置かれ、鎌倉時代の豪族榛谷氏の故地であった。その鎮守たる当社が古社なること論を俟たない。天保14年9月28日現社殿を造営、大正14年9月に修築がなされた。WP_000175WP_000171

書き順が左→右WP_000168

いろいろ祭られてます。WP_000173

熊野神社(横浜市瀬谷区阿久和東4丁目)

さらに適当に走ってると、また別の神社の前を通りかかったので寄ってみました。


大きな地図で見る

ご祭神
伊邪那岐命 ( いざなぎのみこと )
伊邪那美命 ( いざなみのみこと )
諺坂姫命 ( ことさかひめのみこと )

ご由緒
社伝によると、安和の頃 (九六八~九六九) から当地区の人々は、こんもりと茂ったこの森を “天神地祇の御座所”と呼んでいたとのこと。以下不明。WP_000161WP_000156 WP_000154 WP_000152 WP_000153 WP_000150

さらに七社が合祀されています。一ヶ所でたくさんお参りできてすごく便利。
向かって左から八幡社、天神社、山王社、疫疱神、稲荷社、諏訪社、神明社。

若宮八幡神社(横浜市瀬谷区上瀬谷町)

王子神社に行った帰り道、適当に走ってると前を通りかかったので寄ってみました。


大きな地図で見る

ご祭神

誉田別命   ( ほむだわけのみこと )

ご由緒はわかりません。WP_000149WP_000147 WP_000143 WP_000142
お札がいろいろ貼付けられてます。こういうの何て言うんだったかな?WP_000145
お稲荷さんが合祀されてます。WP_000146
さらにもう一社。