左馬神社 (大和市上和田)(サバ神社#2)

こちらも2012年10月21日お参り。


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御祭神

源義朝   ( みなもとのよしとも )
天照皇大神   ( あまてらすすめおおみかみ )
神武天皇   ( じんむてんのう )
素盞男命   ( すさのおのみこと )
ご由緒
宝暦14年3月桃園天皇徳川九代将軍家重の代、名主渡辺兵左衛門、小川清右衛門この地に宮を建立、佐馬頭源義朝の霊を勧請し村民の精神道場となるや漸次庶民崇敬の的となり、文化3年4月3日上和田信法寺14世重職憧与上人、氏子の賛同を得て五穀豊穣の祈願をなしたるや、其の御神徳の偉大さに武家・一般庶民に深き感銘を与う。
以来五穀豊穣はもとより家内安全守護神として広く世に伝わり崇敬者多し。
尚、境内社として天照大神、神武天皇、須佐之男命、三神を奉斎氏国土安穏氏子崇敬者の安泰(疫病・痘癒・厄除)守護を念ずる参詣者今尚多し。WP_000489
中原街道から脇に入るとすぐに現れる、意外に敷地面積の大きな神社。WP_000476
社殿。中はほとんど見えない。WP_000474
社名は縦書き。千社札多し。WP_000478
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こちらに三神が合祀されている模様。WP_000483
社殿右手奥には崩れてしまったと思われる狛犬など。WP_000484
狛犬前から。WP_000487
ここも神社に鐘。WP_000490
鳥居脇の地蔵尊なども崩れてしまっているものがちらほら。

左馬社 (横浜市瀬谷区橋戸)(サバ神社#1)

お正月になって神社関係のキーワードで検索した結果からこのブログを見に来てくれる人が多くなったようです。ありがたいことです。とりあえず去年お参りしておきながらまだ載せていないものが2つあるのでそちらからやって行きます。

とりあえずサバ神社その1。2012年10月21日お参り。


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御祭神

源義朝   ( みなもとのよしとも )

ご由緒

その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民間信仰が盛んでした(七サバ参り)。
当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は左馬頭源義朝です。
隣接の真言宗西福寺が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混溝の姿が今日に残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘が作られました。
平成10年3月 瀬谷区役所WP_000471

これまた地元の人しかわからない込み入ったロケーションながら入口はフラット。WP_000463

社殿WP_000462

社名は縦書きWP_000466

合祀の詳細は不明WP_000465

由緒・由来などが書いてあると思われるが、薄れてしまっていてまったく読めない。WP_000468神社なのに鐘がある。訪れた時は奥の集会所に人が大勢集まって何事かやっていた。鐘の下の二人はその一部だと思われる。WP_000469

御神輿など格納されている模様。WP_000472

入口前の様子。

飯田神社 (横浜市泉区上飯田町) (サバ神社 #4)

道沿いの比較的わかり易い場所にある比較的大きな神社。サバ神社の一つだそうな。いつもマインマート湘南台店へ行く時にこの前を通る。しかしマインマートは湘南台店と言いながら場所的には長後ではないかと思う。2012.5.6お参り。


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御祭神

左馬頭源義朝   ( さばのかみみなもとのよしとも )
宇迦之御魂大神   ( うかのみたまのおおかみ )
大山咋大神   ( おおやまくいのおおかみ )
御由緒
勧請年代は不詳であるが、社伝に「延応元年(1239)に飯田三郎能信、当時の地頭に復するや篤き奉幣の儀あり猶知行平山源太郎の崇敬特に深かりし社な り」と伝え、寛政12年(1800)2月、式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」と刻まれた銅製の神号額を奉納、また文化13年(1816)2月に神祇管領 占部朝臣良長が当社に幣帛を献上して祝詞を奏上している。
新編相模風土記稿に「飯田明神社、鯖明神とも唱ふ、村の鎮守なり、稲荷、山王を合祀す、村持。」と記され、鯖明神とあるように昔から境川沿いに多く祀られているサバ神の一社で、当社は「相模七鯖」のひとつに数えられている。境の神としての幾多の伝承も残されている。
明治6年(1873)に村社に列した。現在の社殿は昭和30年に新築されたものである。
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参道前に地蔵尊など多数。WP_000071 WP_000070 WP_000069
参道からやや左にオフセットしている社殿。WP_000067
由来などが書かれた石碑。

中之宮左馬神社 (横浜市泉区) (サバ神社 #6)

これまた環状4号に左馬神社入口という交差点がありながら、本当にこの道で良いのか的なルート上にある神社。

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御祭神

左馬頭源ノ満仲   ( さばのかみみなもとのみつなか )
天照皇大神   ( あまてらすすめおおみかみ )
御由緒
伝承では源氏隆盛の頃の勧請という。昔から「相模七左馬(鯖)の一社」と崇められた社で、新編相模風土記稿にも「鯖明神社」と記している。明治6年12月 に和泉村の「村社」に列せられた。寛永2年12月に能見松平の勝左衛門昌吉が和泉村の領主になった時に村の鎮守として再興、また能見松平家累代の祈願所と した。また代々の領主は氏子と共に社の護持や社殿の修復に尽力しており、文化13年、天保6年の棟札が残されている。総欅造りの本殿は県教育委員会が昭和 60年に実施した近世社寺建築調査の対象になり、平成5年の報告書に記載されている。平成16年にその本殿を保護する社殿が新築された。WP_000351
よくある感じの上り。WP_000349
上り切ると境内までまっすぐ。WP_000341 WP_000340
珍しく千社札が一枚も貼られていない。社名がかすれてしまっている。WP_000347 WP_000345 WP_000344 WP_000346 WP_000348

鯖神社 (横浜市泉区下飯田町) (サバ神社#8)

地図では左馬神社となっているのに神社庁のページでは鯖神社、七ツ木神社にあった案内では鯖社となっています。どれが本名なのだろう?


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御祭神

左馬頭源ノ義朝   ( さばのかみみなもとのよしとも )

御由緒

勧請年代は不詳であるが、俚伝には飯田郷の地頭、飯田五郎家義が勧請したといい、小田原北條の時代に下飯田を治めた川上藤兵衛も武運長久の祈願をしたとい う。また天正18年(1590)に下飯田の領主になった筧助兵衛(かけいすけひょうえ)為春は、地域の鎮守さまとして信仰し、社殿の修復をしたという。
明治6年に下飯田村の村社に列せられた。また境内林は明治年間に神奈川県の風致保安林に指定され、以来けやき、たぶのき、藪にっけい等の実生で生え、自然に繁茂した樹木が育っている。社殿右手前の銀杏は横浜市の名木古木に指定されている。
またこの近くの神社の近くには鎌倉古道の一つである「上の道」または「西の道」が通っている。WP_000379

わかりにくい入り口。普通に道を走ってるとまず気が付かない場所。ちなみに前の道は2km以上信号がない横浜市内では珍しい場所。WP_000376

軽い階段を上るとフラットな参道。手前の鳥居は木製、奥の鳥居はコンクリート製。WP_000375

途中に「わたどはし」と書いたポール。どこかに橋があるのだろうか?それらしいものを見つけられなかった。それともこの道が暗渠か何かになっているのだろうか。WP_000371

鳥居に「左馬神社」とあるのでこれが本名の模様。WP_000365

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社殿右奥の祠は壊れてしまっている。中には蜘蛛の巣が張っていてなにか物悲しい。 WP_000366

社殿左奥の祠は健在の模様。

WP_000363大体どこの神社にも立派な気が何本もある。ここも例外ではない。WP_000367

しかしそれがどんな木なのか、案内が消えてしまっていて全くわからない。

七ツ木神社 (藤沢市高倉) (サバ神社#7)

市境を越えて隣の藤沢市まで行ってみました。


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御祭神

源義朝

御由緒

文禄年中渋谷義重崇敬厚かりしと伝う。文政9年再建。大正13年氏子中にて拝殿改築す。相模風土記に七ツ木郷鯖神社と記せるは当社なり。往古より鯖神社と称せるを明治初年七ツ木神社と改称す。明治6年村社列格。WP_000400

やや上りの参道。ここの鳥居は木製。辺りにはゴミがちらほら。恐れを知らない人たちがそれなりに訪れる模様。WP_000390

社殿にはなぜか三和シャッターが下りている。賽銭箱は半地下式。WP_000391

今まで全く知らなかったサバ神社と呼ばれる神社群がある模様。とりあえずこの12社をコンプリートしてみよう。ちなみに既に訪れている神社もいくつか。WP_000389

ダイナミックな書体。書き順は右から左。WP_000395

やや荒れている合祀社。WP_000398 WP_000399 WP_000404

読み方がわからない。WP_000407

藤沢市の中学校脇とは思えないのどかな風景。