こちらも2012年10月21日お参り。
御祭神
以来五穀豊穣はもとより家内安全守護神として広く世に伝わり崇敬者多し。
尚、境内社として天照大神、神武天皇、須佐之男命、三神を奉斎氏国土安穏氏子崇敬者の安泰(疫病・痘癒・厄除)守護を念ずる参詣者今尚多し。

こちらも2012年10月21日お参り。
御祭神
お正月になって神社関係のキーワードで検索した結果からこのブログを見に来てくれる人が多くなったようです。ありがたいことです。とりあえず去年お参りしておきながらまだ載せていないものが2つあるのでそちらからやって行きます。
とりあえずサバ神社その1。2012年10月21日お参り。
御祭神
源義朝 ( みなもとのよしとも )
ご由緒
その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民間信仰が盛んでした(七サバ参り)。
当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は左馬頭源義朝です。
隣接の真言宗西福寺が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混溝の姿が今日に残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘が作られました。
平成10年3月 瀬谷区役所
これまた地元の人しかわからない込み入ったロケーションながら入口はフラット。
由緒・由来などが書いてあると思われるが、薄れてしまっていてまったく読めない。神社なのに鐘がある。訪れた時は奥の集会所に人が大勢集まって何事かやっていた。鐘の下の二人はその一部だと思われる。
入口前の様子。
道沿いの比較的わかり易い場所にある比較的大きな神社。サバ神社の一つだそうな。いつもマインマート湘南台店へ行く時にこの前を通る。しかしマインマートは湘南台店と言いながら場所的には長後ではないかと思う。2012.5.6お参り。
御祭神
これまた環状4号に左馬神社入口という交差点がありながら、本当にこの道で良いのか的なルート上にある神社。
大きな地図で見る
御祭神
地図では左馬神社となっているのに神社庁のページでは鯖神社、七ツ木神社にあった案内では鯖社となっています。どれが本名なのだろう?
御祭神
左馬頭源ノ義朝 ( さばのかみみなもとのよしとも )
御由緒
勧請年代は不詳であるが、俚伝には飯田郷の地頭、飯田五郎家義が勧請したといい、小田原北條の時代に下飯田を治めた川上藤兵衛も武運長久の祈願をしたとい う。また天正18年(1590)に下飯田の領主になった筧助兵衛(かけいすけひょうえ)為春は、地域の鎮守さまとして信仰し、社殿の修復をしたという。
明治6年に下飯田村の村社に列せられた。また境内林は明治年間に神奈川県の風致保安林に指定され、以来けやき、たぶのき、藪にっけい等の実生で生え、自然に繁茂した樹木が育っている。社殿右手前の銀杏は横浜市の名木古木に指定されている。
またこの近くの神社の近くには鎌倉古道の一つである「上の道」または「西の道」が通っている。
わかりにくい入り口。普通に道を走ってるとまず気が付かない場所。ちなみに前の道は2km以上信号がない横浜市内では珍しい場所。
軽い階段を上るとフラットな参道。手前の鳥居は木製、奥の鳥居はコンクリート製。
途中に「わたどはし」と書いたポール。どこかに橋があるのだろうか?それらしいものを見つけられなかった。それともこの道が暗渠か何かになっているのだろうか。
社殿右奥の祠は壊れてしまっている。中には蜘蛛の巣が張っていてなにか物悲しい。
社殿左奥の祠は健在の模様。
大体どこの神社にも立派な気が何本もある。ここも例外ではない。
しかしそれがどんな木なのか、案内が消えてしまっていて全くわからない。
市境を越えて隣の藤沢市まで行ってみました。
御祭神
源義朝
御由緒
文禄年中渋谷義重崇敬厚かりしと伝う。文政9年再建。大正13年氏子中にて拝殿改築す。相模風土記に七ツ木郷鯖神社と記せるは当社なり。往古より鯖神社と称せるを明治初年七ツ木神社と改称す。明治6年村社列格。
やや上りの参道。ここの鳥居は木製。辺りにはゴミがちらほら。恐れを知らない人たちがそれなりに訪れる模様。
社殿にはなぜか三和シャッターが下りている。賽銭箱は半地下式。
今まで全く知らなかったサバ神社と呼ばれる神社群がある模様。とりあえずこの12社をコンプリートしてみよう。ちなみに既に訪れている神社もいくつか。
藤沢市の中学校脇とは思えないのどかな風景。