寒川神社 (高座郡寒川町)

お参りに行くだけ行ってまだ上げていないエントリーをボチボチ書いていきます。まずは寒川神社。神奈川県初詣ランキング上位常連の非常にメジャーな神社です。急に梨が食べたくなってJAの直売所に行ったついでにお参りしました。

御祭神
寒川比古命
寒川比女命
寒川大明神と総称する

御由緒
当神社の創始は古く日本総国風土記によれば今より約千五百年前、雄略天皇の御代朝廷より奉幣のことが記されており、
当時、朝野遠近の崇敬篤く、著名の大社出会ったことが知られる。

其後桓武天皇の延暦七年を始めとして歴代奉幣のことがあり、亦仁明天皇承和十三年以来数次に亘り神階を奉授せられ、
更に醍醐天皇の御代に制定された延喜式神明帳に相模国の名神大社と定められ弊帛を奉せられており、この地方の
信仰の中心をなしていた。

後世、源頼朝、小田原北条氏累代、社殿造営社領の寄進等あり、武田信玄の信仰も特に篤く、徳川時代に至っては
徳川氏社殿再建のこと亦社領の寄進等、古来武門武将の崇敬は鄭重きわめるものがあった。

明治四年三月官国幣社制度の制定せられるや国幣中社に列せられ、国費を以て幣帛料御奉納あらせられたるも昭和
二十年十二月神道指令により神社の国家管理を廃止され、現在は神社本庁の別表神社として全国崇敬者より御神徳を
敬仰されている。

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落ち着いた白の橋に二の鳥居。朱塗りではない所にシンプルさを感じます。

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鳥居脇にはカエルがこちらを見つめている池。奥には誰か立ってます。

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馬で乗り込んではいけない模様。しかし境内奥の方に馬がいるのだが。。。

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長大な参道。

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社務所など。

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さすがにメジャーな神社ともなると手水舎も立派です。

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さらに神門も立派です。

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その門の脇では馬が出迎えてくれます。

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幅広い参道の両側は細かい砂利が綺麗に敷き詰められてます。

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存在感が控えめな注連縄。流石にこの社殿に千社札などを貼り付けていく強者はいない模様。

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社殿右手に方位盤と渾天儀。説明書きプレートも埋め込まれています。

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JAの直売所から見た全景。仲々良い風景です。見えている鳥居は一の鳥居。

神明社 (横浜市保土ケ谷区神戸町)

相鉄天王町駅前から細い道(古東海道)を5分ほど行った場所にある広大な神社。その昔、すぐ隣にある保健科学研究所へバイトへ行っていたのですが、当時はそばに神社があることなど全く気が付きませんでした。

広大な敷地にいろいろなオプションとものすごく沢山の神様が合祀されてます。


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ご祭神

天照皇大神   ( あまてらすすめおおみかみ )

ご由緒
神明社御由緒 (旧伊勢神宮榛谷御厨総鎮守)

今から1千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷とよばれていた平安時代の中頃、天禄元年(970)当社の御祭神・天照大御神が、武蔵御厨の庄の内、榛谷の峰に影向し、それから川井・二俣川・下保土ヶ谷のみ屋ばやしへと三遷の後、嘉禄元年(1225)神託があって、神明の下宮を立て、当地を神戸と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守といて広大な社領を免ぜられ、宮司以下数十人の禰宜・社人・供僧・巫女が仕え、年に75度の祭祀を営み隆盛を極めたという。

その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造影が行われ、御朱印地が安堵された。また元和5年(1619)宮居を神戸山々頂から現在の処に遷し、社殿の造営、社頭の整備が行われた。明治2年の修営時には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦安置所の御用材を下賜された。明治6年村社に列せられ、神饌幣帛料供進の神社に指定された。

平成10年0月、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の御造営」が行われ、380年ぶりに御本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物12棟が一新された。平成12年4月、神奈川県神社庁献幣使参向神社に指定された。

御祭神は、天照大御神
社殿建築様式は、本殿・拝殿とも神明造り
例祭日は、8月第4日曜日

*御厨(みくりや) 伊勢神宮直轄の神領地
*影向(ようごう) 神様が現れること
*鳳輦(ほうれん) 天皇陛下の御車

社務所

2013-08-10 12.01.46

木が生い茂り、奥がよく見えない長大な参道。右奥にはYBP(横浜ビジネスパーク)の巨大なビル。

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中庭風の場所。右側は社務所。

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社殿全景。

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扉に格子がなく、素通しのガラスがハマっている。

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社殿前に参詣者の記帳。

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社殿左隣りには洒落た手水桶。

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手水桶の隣には人形流し。清流と書いてあるけど流す所は流れのない池です。

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その隣に合祀その一、水神社。

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社殿左側に合祀その二、稲荷社。参拝順路も指定されています。

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順路に沿って合祀その三、月読社と風宮社。順路は社殿地下を通って社殿右側へ。

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社殿右側に現れる合祀その四、切部之王子社、日之王子社、鹿島社。

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更に順路を進むと別の手水桶。

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裏手に更に別の拝殿が。

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更に順路を進むと合祀その五とその六、雷神社、山神社、山王社、火結社、白鳥社、見目社、厳島社、天満宮。

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表側に戻ってくると、右側に別の社殿と絵馬。貝殻に願掛けもできる模様。

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神楽殿。お正月などはさぞかし賑やかになるのでしょう。

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参道入口。なんてことの無い道沿い。神社奥に駐車場へ入る道があります。

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反対方向。信号の袂に古東海道の碑。

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道祖神的なもの。その昔はこの道を多くの旅人が徒歩で通って行ったのでしょう。今や裏側は保健科学研究所の駐輪場・駐車場になってます。

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神社の駐車場もあります。手前側が神社、奥側右に更に駐車場、その右側が神社右手の道です。20台位の駐車スペースがあります。

 

平沼神社 (横浜市西区平沼)

JR上りに乗っていると横浜手前で海側に見える神社。相鉄線平沼橋徒歩1分という便利なロケーションです。


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御祭神
天之御中主大神   ( あめのみなかぬしのおおかみ )
安徳天皇   ( あんとくてんのう )

御由緒

平沼新田は、帷子川下流地帯の新田のうち、江戸時代の最後に、その最先端に開かれた。今の平沼一・二丁目、西平沼町あたりである。
平沼家は、常陸(茨城県)の出身で、明暦年間(1655年〜1658年)に保土ヶ谷宿に移って代々造酒業を営んでいたが、天保10年(1839年)5代目平沼九兵衛が埋め立てを始め、7代目九兵衛のときに大成した。7代目九兵衛は20歳の時、文久3年(1863年)平沼新田に移住し、新田開発のかたわら製塩業を営み、明治に入ってもなお新田の築造を続けた。平沼神社は天保10年9月5日に5代目九兵衛が新田の守護神として創建した。もとは、水天宮と称したが、明治の初年に平沼神社と改称し、村社に列せられた。言い伝えによると、この新田の住民の多くは製塩業に従事していたが、或る日その一人が海水取り入れの水路に水天宮の御札(御霊)が流れ着いているのを拾い挙げ、これを地主の九兵衛が神の啓示とその場所(今の元平沼橋のあたり)に祠を作って水天宮を祭ったのが初めである。その後、市街の発展によって、三度も位置を変え、大正2年(1913年)に今の境内に社殿を造営し、現在に至っている。水天宮は、「水徳の神」として安産や水難・大災よけに霊言があるとされることから、大正12年9月1日の大震災に、四辺は猛火の中に包まれたが、危く奇跡的にも厄を免れたと言われ、また、昭和20年5月29日の横浜大空襲にも難を免れている。大祭は9月5日に催されるが、正月5日の「湯の花神事」(湯立行事)は特に有名である。神主が大釜の熱湯に浸した笹葉を持って参詣人の頭上に放撤する。この熱湯を浴びたものは、その年は無病息災とされる。

祭神は天之御中主大神と安徳天皇

昭和54年6月 西区観光協会2013-07-18 17.15.36

コンパクトな敷地の割に奥行きのある境内。2013-07-18 17.13.24
お参りに来る人もちらほら。2013-07-18 17.09.07
右から左への横書き。2013-07-18 17.12.56
天神さん、荒神さん、お稲荷さん合祀。この日は荒神さんの祠は工事中なので本殿に移してあった模様。2013-07-18 17.11.56
天神さんの前には願就牛石。牛が寝ている姿を表しているとのこと。頭を撫でてから願い事をすると良いことが起こるらしい。2013-07-18 17.09.32
やたらと高さのある神楽殿。向こう側はJR2線と相鉄の線路。

鶴見神社 (横浜市鶴見区鶴見中央)

JR上りに乗っていると鶴見駅を過ぎてすぐの海側に見えます。横浜市内で最古の神社だそうな。行ってみたら意外と大きな神社でした。


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御祭神
素戔嗚尊   ( すさのおのみこと )
五十猛命   ( いたけるのみこと )
御由緒
鶴見神社は往古は杉山大明神と称し、境内地約五千坪を有する社でありました。その創建は推古天皇の御代(約1400年前)と伝えられております。続日本後 記承和五年(約1180年前)2月の頃に「武蔵国都筑郡杉山の社、霊験あるを以って官幣を之に預らしむ。」とあります。この有力神社として江戸時代の国学 者黒川春村は「杉山明神神寿歌釈」(鶴見神社に伝わる田祭りに関する本)の中に書き残しております。大正9年に鶴見神社と改称されました。昭和37年、境 内より弥生式後期から土師「古墳時代」を中心として鎌倉期に及ぶ、多数の祭りに使用された道具が発見され、推古天皇以前より神聖な地として、すでに祭が行 われていたことと共に、横浜・川崎間最古の社である事が立証されました。横浜最古の神事芸能田遊びは、明治4年を最後に廃絶となりましたが、昭和62年に 再興されました。以来杉山祭と呼称して田祭り保存会が結成され、毎年例祭日に奉納されております。のちに天王宮が合祀されて二社相殿となりまた天王宮の大神輿は、鶴見川に流れついたと言い伝えられる横浜最古の神輿で、毎年古式豊かに渡御され、天王祭として盛大に取り行なわれております。
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鶴見駅から徒歩5分ほど。駅付近の割りには静かな道を歩いて行くと現れます。2013-07-18 16.33.27
小奇麗な印象の社殿。2013-07-18 16.32.39
裏に回ると溶岩がうねうね。どこかから運んできたものだろうか?2013-07-18 16.32.18
社殿裏手の奥に浅間神社合祀。2013-07-18 16.32.25
しかしながらその手前にフェンスがあり近くまで行けない。いろいろと崩れてしまっていて危険だということだろうか?2013-07-18 16.34.18
その他にも沢山合祀。奥から七福神、清明宮、祖霊社、関神社、秋葉神社、稲荷神社、大鳥神社がずらりと並ぶ境内。2013-07-18 16.33.40
神楽殿ではなく単なる蔵の模様。その前に貝塚の説明板。2013-07-18 16.33.32
逆側にも蔵。その向こうにはJRの線路が3複線分。2013-07-18 16.34.05
溶岩に載っている狛犬。

宮沢神明社 (横浜市瀬谷区宮沢)

表側は急坂の途中にいきなり現れるのに、裏から(というか横から)入るのは非常に平坦でわかりやすいという2面性を持つ神社。


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御祭神

天照大神   ( あまてらすおおみかみ )

御由緒

祭神は天照大神です。その創建年代は明らかではありませんが、江戸時代の寛永年中(1625年〜1635年)旗本石川六左衛門重勝支配下の上矢部村民が荒地を開梱して宮沢に集落を作ったと言われ、承応元年(1652年)に検地が行われていることから、建立はその前後と思われます。とうじより諸人の崇敬を集め今日に至っています。
社殿の左には、「農耕の神」と「養蚕の神」が祭られており、9月の最終土曜日に祭礼を行なっています。
現在の社殿は昭和63年(1988年)1月23日に氏子の寄進により再建されました。
平成10年3月 瀬谷区役所2013-05-01 13.24.24

手前の道自体が急坂急カーブで、そのカーブの途中に急な階段を登っていくというかなりきついアプローチ。2013-05-01 13.30.12

しかし裏の入口から来ると平坦で楽。入り口には大きな看板もある。2013-05-01 13.25.27

社殿。真新しい賽銭箱が眩しい。2013-05-01 13.26.12

神楽殿。正月など、祭事のあるとき以外は休業の模様。2013-05-01 13.26.31

豊穣の神と養蚕の神。白姫神社と三峯神社合祀。2013-05-01 13.26.40

謎のオブジェ。2013-05-01 13.29.12

どこで芝生を養生しているのだろうか?2013-05-01 13.29.38

子供に遊び場併設。2013-05-01 13.29.58

参拝者はお客様なのだろうか?2013-05-01 13.30.20

駐車場から社殿方面。真ん中にも木が生えていて良い雰囲気。

 

謎の神社、というか祠 (横浜市泉区岡津町)

三島神社の駐車場からほぼ同じ高さの丘の上に鳥居が見えたのでとりあえず行ってみた。


大きな地図で見る2013-03-20 15.38.29

スチール製の鳥居、手前に道祖神など。向こう側は林になっていて、他には何もない。2013-03-20 15.38.17

木々に囲まれた祠。扉は開けっ放し。中には何もない。どこかに移設されたのだろうか?2013-03-20 15.38.33

2013-03-20 15.38.38

道祖神と庚申塔。2013-03-20 15.39.24

そしてその手前には謎のポールが2本。いかにも幟のための旗竿という風情。2013-03-20 15.39.30

手前側と右側にここへ来るための道。2013-03-20 15.39.04

右側の道。車が入ってこれそうな感じで整備されている。2013-03-20 15.39.39

手前側の道。下に見える道の突き当りが岡津電話局前交差点。2013-03-20 15.40.07

更に下。ものすごく念入りに整備されている。この道の向こう側は緑園都市。2013-03-20 15.40.14

道の途中から鳥居と旗竿を臨む。2013-03-20 15.41.21

工事の銘板。道を作るのは良いが、一体この場所は何なのだろうか?こんなに綺麗に整備しなければならない理由がよくわからない。この先、祠の先の林を切り開いて住宅地にでもする予定なのだろうか?だとすると旗竿がある理由がわからない。

謎は深まるばかりなのだが、もし何かご存知の方が居られたら是非コメントをお願いします。

 

 

三島神社 (横浜市泉区岡津町)

緑園都市の方から岡津電話局前交差点へと続く道、車が詰まり始める辺りを右に入ると現れる、小中学校に囲まれた神社。


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御祭神

大山祇神   ( おおやまつみのかみ )

御由緒

天文5年(1536)創建という。当時この地に土着した開拓者等が「天に大日光ありて地力を養ひ給ふ。大地の慈育なくして人生あるべからず。宣しく天神地 祇を祀るべし、先つ大山祇神を祀るべし」と一社を建て爾後四季毎に打鼓撃鈴して祭りを続けたと伝える。天正18年の頃、代官彦坂小刑部元正は居所の守護神 として尊崇、神殿・境内を整備した。昭和43年例祭日の変更を承認せられ、翌年11月現社殿を改築した。2013-03-20 15.27.40

手前がコンクリート製、奥が木製の鳥居。比較的ゆるやかな参道。2013-03-20 15.23.46

社殿。なんだかやたらと手すりが付いている。右側のオレンジ色のものは正体不明。2013-03-20 15.23.17

社名は縦書。三島大明神が本名の模様。2013-03-20 15.24.14

妙に広い境内。2013-03-20 15.24.21

道の向こうは中学校。2013-03-20 15.24.52

崩れた灯籠などが積み重ねられている。2013-03-20 15.26.15

あちこちでいろいろ崩れている。2013-03-20 15.26.44

参道途中から社殿を臨む。2013-03-20 15.27.52

鳥居前。2013-03-20 15.28.25

同じく鳥居前の反対側。道を下って行くと岡津電話局前方面。2013-03-20 15.28.49

駐車場あり。向こうの丘の上に謎の神社、というか祠と旗竿2本。

皆中稲荷神社 (東京都新宿区百人町)

以前から噂は聞いていたのだが、わざわざ行くには遠いなぁと思っていた神社。ある日、都内で用事を済ませた後に時間があったので行ってみた。


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御祭神

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

御由緒

天文二年(1533)九月二十七日武蔵国に鎮座以来約四百二十有余年になり、大久保発祥以来総社として鎮際せられた。皆中の稲荷と称され、さらに、鉄砲の射 撃が百発百中で当たり、射撃のみではなく願い事もと参詣者の数も増え、ついには皆中稲荷神社と崇敬されるようになった。2013-03-15 16.06.04

JR新大久保駅から改札を左へ出て徒歩1分程度、やたらと人通りの多い道沿いの左側にいきなり現れる。2013-03-15 16.03.47

境内の横幅が微妙に狭く上に社殿正面にも鳥居があるため、正面からだと全容が収まらない。2013-03-15 16.04.07

なので斜め右側から撮影。2013-03-15 16.04.41

絵馬がすごい勢い。これで何かしらご利益があるのなら安いものだろう。しかし神社というのは本来お礼に来るところのはずだが、なぜかお願いに来る場所だという意識が主流になっている気がする。2013-03-15 16.04.21

境内奥から参道方面。2013-03-15 16.05.34

御嶽神社、三峯神社、弁財天社など合祀。2013-03-15 16.05.08

百度石がインストールされている。ここと社殿の間を100回お参りすればきっと良いことがあるのだろう。

ちなみに帰りがけにロト6とナンバーズ4の10連荘を買ってみたが、かすりもしなかった。やはり100回位お参りしないとダメなのだろう。

 

善部神明社 (横浜市旭区善部町)

二俣川から新幹線沿いに瀬谷へ抜ける道沿い、微妙に何もない辺りにある神社。


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御祭神

伊弉諾尊   ( いざなぎのみこと )
伊弉冊尊   ( いざなみのみこと )
御由緒
当地は御厨郷であったため、鎮守地付近の地名は、もと、膳部の字が充てられて居り、当地もその頃からの古社と云われる。寛永13年(1636)領主宅間伊織社殿造立の棟札がある。2013-02-02 15.39.56
道から若干奥まった位置にある鳥居。2013-02-02 15.39.16
なぜかスプリットしている参道。2013-02-02 15.38.24
右の参道正面の社殿。2013-02-02 15.38.09
左の参道正面の社殿。犬を遊ばせてた人がいたけど、境内に連れて入っちゃダメなのを知らない人は意外に多いのかも。2013-02-02 15.38.41
右側にはお寺や遊具など。2013-02-02 15.38.50
割と長い参道。

八幡神社 (横浜市神奈川区白幡仲町)

新子安からの帰り道に立ち寄り。1/19お参り。


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ご祭神

應神天皇   ( おうじんてんのう )

ご由緒

御創建については詳ではないが、口碑によれば源義家公奥州征伐の途次この地に立ち寄られ戦勝を祈られた。その後、社祠が建立されたと伝へられる。鎌倉時代、神奈川領は鶴岡八幡宮領であり、白旗村の鎮守として奉斎されたものであります。旧社殿は嘉永4年(1852年)8月に再建せられ、また文久2年(1862年)の棟札が残されています。明治以後、神佛分離により神奈川町能???社にて兼務す。明治6年村社に???られ、大正12年9月1日の大震災により大破し、昭和4年9月、現社殿を再建し、神饌幣帛科供進社に指定せられました。戦後は、氏子崇敬者の協賛を得て奉賛会を結成し、社殿、神楽殿の修復、社務所の新築、境内の諸整備をなし、白幡町一円の総鎮守として元旦祭、春秋の祭事、8月の例大祭んどを斎行し、ご神徳のの昂揚に務めています。2013-01-19 16.23.27

道から一段上がった場所。2013-01-19 16.18.57

社殿。オーソドックスな感じ。2013-01-19 16.18.42

社名は縦書。2013-01-19 16.19.16

神奈川区50選の1つに選ばれているらしい。2013-01-19 16.20.00

立木など。2013-01-19 16.20.39

神楽殿。夕方の光量不足で妙に写りが暗い。2013-01-19 16.21.46

そこそこ広い境内。